巻 頭 言
トップ画像に関する云々。
トップ画像に関する云々。
▲いよいよ桜が満開となった岩出山の城山公園。見事な枝振りのソメイヨシノは今年限りです。
2025年4月16日 宮城県大崎市 城山公園にて
遠くの山には雪が残るけど、平地には雪がない。川は雪解け水がざぶざぶと流れ、小鳥のさえずりも時より耳に届きます。
風は時より強く吹いて、そらに浮かぶ雲からは時より雨粒が落ちてくるような天気の中、岩出山の城山公園を訪ねました。
修繕整備が進んだC58 114号機の姿を見ようと、足を運ぶ方の車が頻繁にやってきます。しげしげと機関車を眺める方、説明ボードを見ながら「昔はこんなのだったよね」等と談笑する方々、汽車の汽笛をまねてはしゃぐ子供達、皆思い思いに「シゴハチさん」と桜を楽しんでいました。
花の時期が過ぎると、木材腐朽菌が侵入し幹の中に空洞が出来て倒壊の危機が迫っている為、大崎市では桜の木を伐採する予定です。
暫くソメイヨシノとの共演はなくなってしまう「シゴハチさん」ですが、これからもこの場所で保存を続けるための・修繕と整備が続きます。
私も所属する保存団体「鉄道文化連結会」では、直近では2025年5月18日(日)に修繕活動を行う予定です。技術・知識・体力・鉄分のある方は奮ってご参加ください。
詳細は以下のリンクよりご参照願います。
2025年3月22日 岩手県一関市 大船渡線北上川橋梁にて
1925年に開業した大船渡線は今年で開業100周年を迎えます。龍の如くうねる線形から「ドラゴンレール」の異名を持つこの路線ですが、北上川を跨ぐ鉄橋はここ1箇所のみ。
立派な石造りの橋脚に、92m(300ft)のスパンを持つ曲弦トラスが美しいこの鉄橋の下は、ちょうど北上川が山々に阻まれ流れを変える「曲がり角」に位置しています。
水の流れを遮るような場所である故に、ここは昔から台風や大雨で北上川が増水して氾濫して水没する被害に遭っており、近代の水没時の高さを示す表示があったり橋脚に水位を示すメジャーが設置されていて、並々ならぬ雰囲気が漂っています。
近隣の家屋も川岸の農地より一段高いところに位置している事から、大船渡線が造られるより遥かに昔からこの辺り一帯が水害に悩まされていた事が伺えます。
後で地図を確認してみると、この辺りの地名はストレートに「川底」となっており、「川が氾濫したらここは川底になるぞ」と言わんばかりで心底ぞっとしました。
裏を返せばこの場所は付近一帯で最も川幅が狭まる箇所である事から、当時の鉄道敷設において「橋梁は出来るだけ短く抑える」という発想と一致したことでしょう。
緩やかな峠を一つ越えた大船渡線は、北上川を渡る為に山の中腹から築堤へ進みますが勾配は無く水平に北上川橋梁へ進み対岸の山の中腹に至っています。
当時においても水害を見越して出来るだけ高さを確保しておこうという目論見が正解であった事をこの北上川橋梁自身が証明し続けています。
▲夕暮れ時の大船渡線北上川橋梁を征く2両編成の下り列車。今年で開業100周年を迎えたが、この橋梁は初代橋梁が老朽化した為に1979年に掛け替えられた2代目である。
▲1939年(昭和18年)に汽車製造大阪工場で製造されたC58 117号機、1973年(昭和48年)に引退後、城山公園へやってきた。
2025年3月1日 宮城県大崎市 岩出山城址(城山公園)にて
昨年から修繕作業にボランティアとして参加していた岩出山城址のC58 114号機(地元の方々からは”シゴハチさん”と呼ばれ親しまれています)ですが、冬季の積雪から守るための「雪囲い」を解き修繕作業を再開いたしました。
キャブ(機関室)側面に掲げられたプレートには、現役から退いたC58 114号機を1973年(昭和48年)3月14日にこの場所に搬入された事を示す当時の岩出山町によるプレートが設置されており、まもなくその時から52年の月日が過ぎ去ろうとしていることを示しています。
これまで多くの支援により再塗装、汽笛の修理や近年解体された姉妹機より提供されたシールドビーム灯の設置等の修繕が行われたものの、これまで触れられていなかったキャブの中も様々な箇所に錆が浮いていたり、腐食の進行で床に穴が空いてしまった箇所もあり、絶えず保守・保全を重ねないと維持できない困難さを痛感した次第です。
私自身SLが現役で活躍していた時代を知らない1980年代の生まれではありますが、改めて「産業遺産」や「郷土の歴史」、そして「近代化の生き証人」として今も存在し続けているものに脚光を当て、実際に保全のために活動せねばならないと考えています。
私はその一歩として”シゴハチさん”を後世に残すために活動する保存会の一員となりました。今後も微力ながら自分に出来ることを色々と思案し、実行に移すことが出来ればと思います。
2005年2月5日 仙山線 作並-西仙台ハイランド(臨)間にて撮影
2005年のヒットソングといえばレミオロメンの「粉雪」。発表されたのはその年の11月だったと思いますが、この写真を撮ったのはその年の2月のことでした。
この時の気温は近くにある気象庁の新川気象観測所のアメダス情報によると-2.1℃だったようで、この時降っていた雪は乾いたサラサラの粉雪であった事がわかります。
構図の都合でただの「山肌」のみが写っているのは、昭和新山の如く溶岩ドームが突き出したスタイルで、その岩肌がゴリラの横顔のように見えることから「ゴリラ山」の異名を持つ鎌倉山です。
通常ならば岩肌が露出している山頂部を含めて撮るのがセオリーとされ、今も昔も仙山線の撮影スポットとして有名です。
ただ、この日は朝から雪模様で時より吹雪くような天候でしたので「車両だけ撮れれば良いや」と割り切った結果こうなった次第です。(カメラもコンデジでした)
この時のお目当ては団体臨時列車「ゲレンデ蔵王」の運用に入っていた仙台電車区の583系、いつも撮影するのは山形駅から帰って来る回送列車でした。
なお、撮影区間として記載している西仙台ハイランド駅(臨)は2004年の時点で停車する列車がなくなっており、2014年に廃止されています。
▲仙山線の定番撮影スポット、鎌倉山はいつもキレイに下草が刈られ、現在も地元の方が頻繁に手入れして下さっている貴重な撮影地です。
▲初日の出を拝もうと午前4時ぐらいから待機していましたが、堤防の上は強風が吹き荒れ体感温度も一瞬で低下します。寒さ対策は万全に。
▲周辺は街灯もなく真っ暗なので、懐中電灯の類が必須です。
2024年は本格的な「コロナ禍明け」となり、私も何年か振りに自家用車で県外へ足を伸ばす機会が増えました。その際にお会いしました皆様には大変お世話になり、誠にありがとうございました。
2018年に地元仙台に帰郷して以来、精神的に塞ぎ込んでいた時期にコロナ禍が重なったこともあり、Web上や同人サークル活動から暫くの間距離を置かざるを得ない状況となっており、もっぱらSNS(X)で足跡を残すのみという状況が続いておりました。
本Webサイトの復活・更新再開についてはまた別の問題があり、これまで習得してきたHTML4時代のスキルでは近年のWebサイトは「表示すらされない」という状況になり、長い事更新が止まってしまった上にレンタルサーバーの契約も切れてしまい「鯖落ち」の状況が長い事続いておりました。
11月にGoogleサイトの独自ドメイン関連付けが上手く行った事をきっかけに、本Webサイトの更新を再開した次第です。
問題はそれが可能となったのが11月10日(日)に参加した同人イベントの前日で、前泊したホテルにて簡易的な内容を作成したらURLをQRコードを生成、乾電池駆動のラベルプリンターで出力して印刷物にペタペタと貼り付けるという突貫作業を行いました。
数年ぶりのWebサイト復活をきっかけに、「昔ながら」のホームページスタイルを思い出しながら作業を続けておりますが、今後は趣味に関するノウハウの集積地点として、既存のWebサイトを情報源として活動していた方々に参照して貰えるよう、今後も試行錯誤をしてゆく所存です。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ウミネコワークス/定禅寺みやぎの
E501系といえば、常磐線に1995年~1997年にかけて投入された交直流対応の通勤電車。京急2100形電車とともに、独シーメンス社製の制御装置「SIBAS32」を搭載しているために「歌う電車」の愛称があった電車です。
私が鉄道趣味にハマり始めた頃、とある友人がまだ発売されたばかりのE501系の鉄道模型を入手したために、自分も同じE501系の模型がほしくなった思い出があります。
当時仙台地区で最新鋭だった701系と比べると、209系譲りのシンプルで都会的なデザイン、エメラルドグリーンの帯とステンレス無地のボディがとてもスタイリッシュでカッコいいという印象があり、30年選手といえど「古い電車」という言葉は全くもって似合わないと思っています。
ただ、お気に入りにして憧れの電車であるものの、上京して神奈川県に居住していた私が常磐線の沿線を訪れる機会が無く、今回ようやく撮影に出かける機会に恵まれた次第です。
2024年12月現在、E501系は土浦-いわき間に1往復が残るのみとなっており、それも2025年3月のダイヤ改正で削減されることが既に発表されています。なおこの1往復のうち646M(土浦行)は夕方にいわきを出る列車なので撮影は難しく、土浦から水戸にかけての区間で冬場に撮影するとなれば下り623M(いわき行)しかチャンスがありません。
友部から水戸の区間は常磐線はほぼ東西に走っていますので、天気が良ければちょうど朝日を浴びながら走る623Mを撮影できると思い、内原電留線の終端部・坪原(下)踏切を目指しました。が、周辺は軽トラックがギリギリ通れる幅の道路しかなく、踏切も普通車進入禁止となっています。
周囲は農地と民家が密集しており、引き返そうにも車を転回させるスペースもあまり有りません。訪れる際は近隣の方の迷惑にならないよう、どうぞお気をつけください。
銚子からの帰り道、国道124号・51号・245号と継走し日立バイパスから国道6号線に入る。いわき市に入り常磐バイパスを約30kmほど快走するも、単調な運転操作が続いたせいなのかなんだか眠くなってきた。
せっかく海沿いを走っているのだから、休憩がてら海岸沿いに降りてみようと思い立って県道395号線(旧6号)に入る。久之浜バイパスに別れを告げて海沿いを走ってみたけど、良さそうな場所が見当たらずバイパスと合流しそうな所までやってきた。
すると、その手前に小さな分岐が目に入った。右手には海があり、常磐線の線路もチラリと目に入る。急な下り勾配の細道を下り、常磐線の築堤にぽっかり空いたレンガアーチをくぐると、目に入ったのは巨大な防潮堤。
その側壁に設けられたスロープを歩いて登れば、太平洋が視界に広がって、空も海も真っ青という光景になる。
砂浜、という寄りは細かく砕けた細かい砂利のような海岸には、丸く角の取れた消波ブロックが海岸線沿いを埋め尽くし、晴天ながら大きめの波が打ちつけていた。
玉砂利の海岸に近づくために浜に降り立つと靴が半分沈み込んでしまい、けっこう歩きづらい。ずぶっ、ずぶっと歩を進めて消波ブロックの所まで進むことが出来たものの、まるで雪の上を歩くような感覚だった。
エメラルドグリーンの美しい海を眺めて潮騒の音と潮風を全身に浴びながら暫く佇んでいたが、気分転換には丁度よかったと思う。
国道6号線で首都圏と仙台を往復する事は何度かあったけど、こうやって海岸に降り立つのは今回が初めてでなんだか新鮮な体験だった。