仙山線で1955年より始まった日本国内初となる交流電化試験の成功を経て、1961年には東北本線の福島‐仙台間が50Hz・20kVの交流電化が完了しました。この時にデビューした機関車の1両がこのED71形37号機でした。1984年に東北本線船岡駅前の公園緑地にオハフ61形客車2527号と連結された状態で静態保存され、現在に至ります。
1961年:日立製作所で落成、新製配置:福島機関区
東北本線の交流電化が仙台からさらに北上するに伴い運用範囲を拡大するために新製され、単機または僚機との重連で活躍したのがED71形電気機関車の37号機でした。
当初1灯であった前照灯はシールドビーム2灯に改められ、所謂「ブタ鼻」スタイルとなっているのが特徴です。
1982年にED75形に置き換わる形で引退した37号機は、福島機関区構内で保管されたのち、後述するオハフ61 2527とともに1984年より当地で静態保存が始まりました。
貨客両用の機関車ですが、末期は東北本線(黒磯~仙台間)の貨物列車牽引を担当しており、一部列車は陸前山王駅まで足を伸ばしていましたといいます。
初期の交流電気機関車で使用されている水銀整流器(エクサイトロン)には文字通り重金属で人体に有害な水銀が使用されているため、21世紀に入ってからこれを撤去する作業が行われました。
そのため2位側(東北本線側)のルーバー部分がまるごと鉄板で塞がれており、東北本線を走る列車から眺めるとかなり違和感がある。但し撤去時に外したルーバーはすべて残っており、機関車内部にて保管されているとのこと。
2025年5月10日(土)・11日(日)には16年ぶりとなるED71 37号機の塗装作業が行われ、赤2号の鮮やかなボディが蘇りました。
▲2025年5月の定期修繕活動に参加した際のED71 37号機。テールランプにマスキングが行われた状態で1日目(5月10日)の作業が終了した。
▲2023年4月現在のED71 37号機の姿。【柵の合間から撮影】
▲2025年5月の定期修繕活動に参加した際に撮影したオハフ61 2537。
【通常は立入禁止のエリアから許可を得て撮影】
1922年 ホハフ25700 新製(日本車輌製造) → 1928年 ナハフ24101に改番
1953年鋼体化改造 オハフ61 527(国鉄長野工場) 仙台運転所に配置
1965年電暖化改造 オハフ61 2527(国鉄土崎工場)
1984年配車 最終配置:郡山貨客車区
種車のホハフ25700は大正11年製造の22000系客車のうち、木造17m級の3等緩急車・ホハフ25500形のなかの1両であり、戦後の鋼体化改造で60系客車となった後主に東北本線や磐越西線・日中線などで活躍していました。
「鋼体化」とはいえ車体は戦後にほぼ新製されたようなものですが、それでも内装材や床材・雨樋・扉などに木材は依然として使用されていました。
屋根や窓ガラスなどが投石などによって破損させられてしまった箇所があり、雨漏りや腐食をさらに深刻なものとしてしまっていると思われます。
少しでも良い状態に近づけることで、これ以上「壊されない」静態保存車両になってくれることを願わずにはいられません。